日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2025/1/23)
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- Опубликовано: 21 янв 2025
- 2025年1月23日(木)
【旧約聖書】
あなたがたは人を欺くように、神をも欺くのか。ヨブ13:9(協)
【新約聖書】
イエスはパリサイ人たちに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。」ルカ16:15(改)
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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。
釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。
使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2025』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2024年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。
*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。
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台湾の元デジタル大臣にオードリー・タンという方がいらっしゃいます。この方は人々から「天才」と呼ばれるずば抜けた才能の持ち主で、若くてシリコンバレーで起業し、35歳のときに台湾のデジタル担当大臣に任命されています。そのような才能を持っていますが、本人が言うには、「学校ではみな同じコースで競争させられるが、実際の社会ではそんな勝ち負けで各人の能力が判定されるわけではない、ルートが固定されているから、勝者と敗者が存在するんです」と言います。プログラミングの世界ではオードリー・タンは天才ですが、実際の社会はプログラミングだけではありませんので、プログラミングだけで人生の勝敗を決めつける必要なないということです。
そう考えますと、イエスの時代のユダヤ社会は、律法に忠実であれば救われるというルートを固定するから、律法学者たちが勝者として存在することができたと言えます。羊飼いのように、律法を守ろうにも守れない人々は、敗者として社会の隅に追いやられるのです。律法学者にとっては、律法というルートを固定すれば固定するほど、自分たちの存在感は増していきます。それが、律法学者たち、ファリサイ派の人たちの傲慢さの根拠となっています。彼らは自分の正しさを人々に見せつけ、傲慢になっていたのです。
そのような彼らに対して、イエスはおっしゃいます。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。」神さまは、そのような彼らの卑しい心、人に立派に見られたい心を、しっかりと見ておられます。ルカ福音書1章51節には、「主は御腕をもって力を振るい、思い上がるものを追い散らす」と書かれています。自分は正しいと思い上がる者を、神さまは追い散らされるのです。ヨブ記にはこのように書かれていました。「あなたがたは人を欺くように、神をも欺くのか。」私は正しい、その思いは神さまを欺く行為です。神さまの前に正しい人は誰一人いないのです。
律法というルートで社会が固定されると、このような自分の正しさに酔いしれた人々が生まれます。神さまの前に誰一人正しい者はいない、つまりルートを固定しない。そのときに初めて、神さまへの道がすべての人に開かれます。社会的な地位や業績にはとらわれない、個々人の信仰によってのみ、神さまの前で義と見なされる、信仰による義の道が開かれるのです。
日本キリスト教団六ツ川教会牧師 桐藤 薫